2015年2月12日木曜日

皇紀2675年紀元節・橿原神宮(神武天皇陵)にて【2015.2.11】

毎年紀元節は寒いことが多いのに今年は暖かな日差しが降り注いで気持ちもよく、勅使を迎える時間までかなりあり、神武天皇陵まで歩いて参拝してきました。



神武天皇陵参拝のおり 子供連れの団体も見かけました。
子供達に神武創業の精神を教え我々も思いを馳せ、立ち返りることが 今まさに必要とされているように思います。意味のない「建国記念日」ではなく 意味ある「紀元節」の復活こそが日本の精神を取り戻す確実な一歩となるでしょう。


では神武建国の精神とは何かを知るために、まず神武天皇が東征に着手されるに際して煥発された「天業恢弘東征の詔」を見てみましょう。


天業恢弘東征の詔

昔,我(あ)が天神(あまつかみ),高皇産靈尊(たかみむすびのみこと)、大日孁尊(おおひるめのみこと),此の豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みづほのくに)を挙(のたまひあ)げて,わが天祖(あまつみおや),彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)に授けたまへり。是に火瓊瓊杵尊,天關(あまのいはくら)を闢(ひきひら)き、雲路を披(おしわ)け,駈仙蹕(みさきはらひおひ)て以て戻止(いた)りませり。

是の時,運(よ)は 鴻荒(あらき)に属(あ)ひ,時は草昧(くらき)に鍾(あた)れり。故(か)れ蒙(くら)くして以て正(ただしき)を養ひ,此の西の偏(ほとり)を治(しら)せり。

皇祖皇考(みおや),乃神乃聖(かみひじり)にまして,慶(よろこび)を積み暉(ひかり)を重ね,多(さは)に年所(としのついで)を歴(へ)たまへり。天祖の降跡(あまくだ)りましてより以逮(このかた),今に一百七十九万二千四百七十余歳(ももななそぢここのよろづふたちぢよももななそとせあまり)なり。

而るに,遼邈之地(とほくはるかなるくに),猶ほ未だ王澤(みうつくしび)に霑(うるほ)はず。遂に邑(むら)に君あり,村(あれ)に長(ひとこのかみ)ありて,各自ら(おのおのみづから)彊(さかひ)を分ち,用て相凌(あいしの)ぎ轢(きしろ)はしむ。

抑又(はたまた),鹽土老翁(しをづちのをぢ)に聞きしに、東(ひむがし)に美地(よきくに)あり、青山四(あおやまよも)に周(めぐ)れり。その中に亦,天の磐船(いわふね)に乗りて飛び降れる者ありと曰へり。

余(あれ)謂(おも)ふに,彼(そ)の地(くに)は,必ず以て天業(あまつひつぎ)を恢(ひろ)め弘(の)べて,天下(あめのした)に光宅(みちを)るに足りぬべし。蓋し六合(くに)の中心(もなか)か。厥(そ)の飛び降れる者は,謂(おも)ふに是れ饒速日(にぎはやひ)ならむ。何ぞ就(ゆ)きて都(みやこつく)らざらむや。


意訳すると

天孫降臨して九州に稲作を中心とする豊かな農業社会を築いた我が民族の正統たる天皇が、高天原の精神を部族単位の抗争に明け暮れ混乱する東方世界に押し広げ、以て「正しきを養い」「慶を積み」「暉を重ね」た偉大な統一国家(瑞穂国)を建設しよう

ということになりましょう。




天皇弥栄