2015年12月15日火曜日

H27.12.13 南京城陥落記念日、30万人南京大虐殺を言い張る支那領事館への抗議。

12月13日は南京城陥落記念日です。

日本軍が悪辣なる支那軍から南京市民を開放した記念日です。
この日30万人南京大虐殺と根も葉もない嘘を流布している支那領事館に抗議文を投函しました。

南京市民にとってとても喜ばしい日であり、残虐な国民党軍から開放された南京の子供達は日本軍から笑顔でお菓子を受け取る・・女達は壕から出てきて笑顔を見せる・・大人達も満面の笑みでカメラマンに集まって来る姿が残っています。

南京市民は日本軍が入城する以前から国民党軍に略奪、強姦、虐殺され、軍人=恐怖の対象でしたが、規律正しい日本軍による炊き出し、配給などですっかり安心し、上海に疎開した市民が戻ることで約20万人だった南京市内の住人もたちまち25万人に増加したのです。


現在支那は30万人南京大虐殺と根も葉もない嘘を流布していますが、そもそも30万人も人数が居ません。

城外から入城するまでにも殺したと発言を変えてきていますが、それを行なったのは焦土作戦などで焼き尽くし、惨殺した国民党軍です。









---------以下抗議文---------

抗 議 文

駐大阪CHINA総領事 劉毅仁に告ぐ

本日12月13日は南京陥落記念日で南京市民を支那軍の横暴から日本軍が開放した日であり、去年から習近平が国家追悼日を決めたらしいが、決して南京大虐殺犠牲者国家追悼日などではない。追悼式典をしたいのなら国民党軍が南京市民への大虐殺を行った日、そして共産党軍が南京市民への大虐殺を行った日を国家追悼日としなくてはならない。
1990年、「義和団の乱」が起こり、なんと愚かな清政府は義和団の方が強いと見るや逆に義和団に加担した。皆殺しになる状況を見かねた列強8カ国が義和団の鎮圧に出動した。今で言うPKO活動である。軍を派遣した8ヵ国、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、オーストリア(=ハンガリー)と日本である。約2ヵ月後、8ヵ国の連合軍は首都北京及び紫禁城を制圧し、乱を鎮圧した。
列国と清国・義和団との戦闘の事後処理に関する最終議定書の『北京議定書』に基づき、列強各国に自国民の保護の為に支那への駐兵権が与えられた。日本軍が支那に駐留していたのは、そういう理由からである。イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、オーストリア(=ハンガリー)と日本など出兵した8ヵ国と、ベルギー、スペイン、オランダを含めた11カ国の欧米列強は皆駐留していた。
この後、辛亥革命で清国が完全に滅び、支那は群雄割拠の時代となり、統一政府は無くなったのである。そうすると、軍閥があちこちで勝手な事を始め、住民からは勝手に税を取り立て、若者を勝手に兵にとり、あちこちで略奪、殺戮を繰り返すようになった。そのような状況で、どこにも治安の維持は頼める訳もなく、外国人は自国の居留民は自国の軍隊で護るしかなくなったのである。支那の伝統では、昔から都市に軍隊が入ってくると、略奪、放火、強姦、殺戮が行われていたので、各国の駐留軍はそれを防ぎ、あわせて支那人をも保護していた。当時、支那では租界の中だけが平和で安全で文化的な世界だった。 この状況は支那の各軍閥にとっては腹立たしく、理由はそこに逃げ込んだ民間人からは税を徴収できず、なによりそこは彼らの力の及ばない所だったからである。彼らは、何とかして、外国人の支配する租界を破壊し、彼らの好む治安の悪い世界へと引きずりおろそうと画策した。その頃から情報戦が今の今まで続いている。

そのような中、日本はいつ支那との間で戦争が行われたのか。どうしても戦争したい支那国民党軍と工作活動に精を出す支那共産党ゲリラ軍が次々と事件を起こす。「盧溝橋事件」もその一つである。よく世間で言われる「盧溝橋事件」が戦争の始まりではなく、和平協定を結んでいて、日本は戦闘を拡大する気もないのに次々と支那側から挑発が繰り返し行われ、「郎坊事件」そして「広安門事件」ついには「通州事件」へと毎日のごとく事件が続けられた。「通州事件」では世紀に残る比類なき鬼畜の所業が支那人によって繰り広げられた。1937年7月29日深夜、支那兵が通州の日本人住宅を襲い婦女子を含む二百数十名を惨殺した。その残虐行為は「ある者は耳や鼻を削がれ、女性の陰部には丸太を突き刺し、乳房を削がれ、ある者は鉄線で数珠つなぎにされ池に放り込まれた」聞くに堪えない阿鼻叫喚の大虐殺事件を当時の新聞や雑誌はこぞって報道した。これら日支事変は支那側の一方的な挑発行為が原因だった。この様な状況に至ってもまだ日本は和平への道を探し、戦争への決断がつかずにいた。それから89日後、上海事変で初めて軍を侵攻させた。これが「大東亜戦争」の開始である。この時、租界を戦闘地区から切り離したことで非戦闘員の上海市民の安全を確保した。英字新聞は「日本軍に感謝!この事態に対し上海人は感謝しなければならない」と伝えている。
上海事変で負けた蒋介石軍の敗残兵が南京城内になだれ込んだ。その時の様子を蒋介石が1937年11月30日の日記にこう書き残している。「交戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。戦争前には思いもよらなかった事態だ。
撤兵時の略奪強姦など軍紀逸脱のすさまじさにつき、世間の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ」
またニューヨーク・タイムズも支那軍の焦土作戦をこう報じている「7日も南京市外10マイルの地域内にある全村落に火を放ち、日本軍の進撃に役立つ物は焼き払わんとしているため、南京市は濛々たる黒煙に包まれた」つまりは南京で略奪・強姦・惨殺・放火を繰り返していたのは支那軍であり証拠はいくらでもある。
いち早く南京を放棄して遁走していた蒋介石将軍に後を任された唐生智将軍も日本側からの投降勧告に応じず、結局は遁走することとなる。南京混乱の原因はこの二人である。
戦争で日本に勝てなかった支那は自ら国土を破壊し尽くした責任のすべてを日本側になすりつけるため、情報戦の道具として自ら南京の混乱を望んだのではないのか。
南京攻略戦の世界各国の取材陣は南京陥落前から「AP通信」、「ロイター通信」、「パラマウント・ニュース」、「ニューヨーク・タイムズ」、「ロンドン・タイムズ」、「シカゴ・デイリー・ニュース」などいたが、南京城内で日本軍による大虐殺があったと報じた記者は一人もいなかった。日本人記者も「朝日新聞」80余名、「毎日新聞」70余名、その他「読売新聞」「NHK」などおびただしい数の記者が入城しており、水も漏らさぬ報道体制であった。




国民党を追い出して国を略奪した共産党、ありもしない日中戦争、日本とは戦ってもいない共産党政府が抗日戦争勝利とは笑わせるな!ただただ大陸中を逃げまわっていただけの共産党軍などに国としての正当性など始めから無い。国民の反日感情を煽りそれを頼りに国を治めるしかない能なし国家の中国共産党、その一つに思いついた南京大虐殺だが所詮は嘘であり嘘の上に嘘を塗り固めても所詮は砂上の楼閣、必ず崩壊するのだ。

支那共産党が出してくる証拠と言えば捏造写真ばかりであり、また捕虜として捕まえた日本兵に6年半をかけて徹底した洗脳工作を施した。支那が行った非道な行為を日本が行ったかの様にすり替え拷問などを毎日続けた。洗脳済の元日本兵を日本に帰した「中帰連」と呼ばれる工作員にされた哀れな者の証言のみであり、そんな証言は証拠とはなり得ない。何が30万人南京大虐殺だ。そして捏造証拠を根拠に偽札混じりの大腸菌まみれの1兆円もの金をかけブラックプロパガンダを世界中にばら撒き続ける卑怯者の偽物国家、汚れた空気を周辺諸国にばら撒き続ける汚物テロ国家、危険な食物を世界各国にばら撒き続ける食品テロ国家、無理勝手な理屈をつけて我が物顔で他国を侵略する盗賊テロ国家、それがどこまでいっても本物にはなれない支那共産党政府である。
本当にあったのは通州大虐殺であり、日本人に対する支那人の鬼畜の所業の事実を後の世に語り継がねばならない。我々日本人は絶対に忘れることはない。
世界中、特に周辺諸国から見れば傍若無人・迷惑千万な存在でしかない支那共産党よ!世界平和にためにさっさと滅びてしまえ!



平成27年12月13日
凛風やまと・獅子の会