2015年10月18日日曜日

10月28日(水) 竹島奪還 街宣活動 無事終了です

大阪韓国領事館前の街宣、無事終了しました。
平日にもかかわらずご参加下さった方はありがとうございました。

また沿道の方々から多く声援を頂きました。参加して頂いた皆さんのお陰です。

はるか遠くから声による妨害もありましたが、たった二名だけでした。
妨害を見て質問してくる方も居て、逆に盛り上げる事が出来ました。
ありがとうございました。


後々動画を貼り付けます。





以下告知の際の文面-------------------------


10月28日

この日は韓国が国際法を無視して竹島を軍事占拠した日です。

当時李承晩政権が勝手に日本の領海に線を引き、日本人約3929名を拿捕、44名死傷させたうえ、拉致した日本人を返して欲しければ在日朝鮮人の法的地位を要求しました。さらに日本国内の獄中の犯罪朝鮮人約400人を解放しろと要求してきました。つまりは韓国にとっていらない在日韓国人を日本に捨てた(棄民政策)わけです。

歴史上からも国際法上からも日本固有の領土である「竹島」



その「竹島」を韓国は国際法も一切無視し武力により不法占拠し武力警察を常駐させています。
今年も上陸軍事訓練をする筈が、米国から警告を受け中止に追い込まれている様ですが…(笑)





日本の第三興洋丸が韓国側に拿捕された当時の映像


酷い火傷を負った日本人­の映像が 3:13 に一瞬表示されます↓
参考文献を最下部に載せておきます。



戦後弱った日本に人質を盾に迫った、今も態度を改めない韓国政府を糾弾します。
御堂筋韓領前は歩行者が多く、領事館関係者も嫌がる場所です。

ビラ配りもやりますので、ご協力よろしくお願いします。







【日時】
平成27年10月28日(水)

(開始)14:00
(終了)15:30

※雨天の場合延期や時間変更の場合ブログかツイッター〈https://twitter.com/mossan192000〉で告知。

【集合場所】
大阪韓国領事館前


【現場責任者】
獅子座なお

【主催団体】
凛風やまと・獅子の会


《注意事項》

●豪雨や荒天の場合は延期。
●日章旗、拡声器、主旨にそったプラカードなどの持ち込み大歓迎。
●趣旨に合わない旗物類、コスプレ、特攻服、チマチョゴリ、チャイナドレスなど  現場に相応しくない服装はご遠慮ください。
●当日は動画撮影や生放送が入りますので、顔出しNGの方は帽子などのご準備を。
●現場責任者の指示には必ず従って下さい。



【参考】
釜山収容所 拿捕された漁船乗組員のその後


1953年9月に拿捕された第28海鳳丸の久保田伴良・船長は帰国後、国会の小委員会で壮絶な投獄体験を証言している。
 済州島周辺を航行中、韓国海軍の巡航艇に大砲2発を発砲され拿捕された海鳳丸だったが、船長は小銃を突きつけられた状態で軍幹部に反論し、警察尋問では拳銃で脅されながら自分の証言と調書の違いを主張するなど、抵抗を示した。彼は2か月以上勾留された留置場の様子をこう述べた。
「留置場は1部屋4畳半くらいで多いときは1部屋10人もおり、超満員になって寝ることもできなかった。食事は丸麦1合くらいを1日2食、おかずは大根の葉っぱの塩漬を毎日毎日73日間も食わされた」

『知られざる釜山外国人収容所』若杉大 


刑期を満了した者は釜山の外国人収容所へ送られる。ここは帰国を前提としした待機施設であり、刑務所の劣悪な環境に苦しんだ漁民達は皆、これで多少は人間らしい暮らしができるものと淡い期待を抱くが、それはすぐ失望に変わる。コンクリ塀を鉄条網に囲まれ、木造平屋の掘っ立て小屋が並ぶそこは、ゲットーそのものだったのである。間仕切りもない20畳あまりの板敷きに、40人程度が押し込められる。

入浴は年に数回。井戸と便所は数メートルしか離れてなく衛生環境は最悪。漁民たちは目をつぶって糸虫が泳ぐその井戸水を飲むしかなかった。寒空に夜具といえるのは垢じみた軍隊払下げの毛布一枚。それはシラミ、南京虫の格好の巣だ。所内に腸チフスが流行ったこともあった。病気を訴えてもろくな治療はされず放置される。


食事は1日2回。石ころや藁が混じった麦の粥に紙のような沢庵2切れ、それにナイロン汁(ナイロンストッキングのようにすけているという意味で漁師はそう呼んだ)。これだけではとても体がもたないので、月1回日本の家族から送ってくる差し入れの缶詰を開けたり、あるいは差し入れ品を換金し、所内の売店で市価の2,3倍する野菜やソーセージを買って自炊する。中でも喜ばれた差し入れ品は味の素とポマードだ。これはそのまま現金代わりになったし、いざというとき看守への袖の下にも使えるのだ。

収容所には漁師の他、別棟に600人近い母子が収容されていた。婦人たちは韓国人と結婚し、この地に残った日本人妻で、動乱で夫を失った者たちだ。日本への帰還を希望する彼女らを韓国政府はこの不衛生で非人間的なゲットーに留め置きにしたのだ。


抑留漁師に最も恐れられ、かつ憎悪の対象であったのは1959年に西釜山署から収容所に出向してきた白相天(ペク・サンチョン)という刑事とその部下である。白は凶暴かつ残忍な男で、彼に目をつけられ理不尽なリンチにあった収容者はあとを絶たなかった。

白一味は「共産分子の不穏文書がまぎれてるのを監理する」という名目で、漁師たちが命の綱としている家族からの小包を勝手に開け中身(缶詰の他、韓国では貴重な薬品も)を着服した。漁師に小包を渡すときも「郵便局までタクシーで取りにいった」といって手数料まで巻き上げるという鬼畜ぶり。彼が赴任してから、日本の家族へ宛てた手紙もとんと届かなくなった。なんと、白一味は手紙から切手を剝ぎとり、小遣い銭にしていたのだ。売店で小包の中身と思われる日本製の缶詰と糊の剥がれた切手が売られているのを見て、漁師たちは唖然となった。それでもかれらは命を繋ぐため、愛する家族へ近況を伝えるため、それらを再び買うしかなかったのだ。